広すぎ問題
さいごの物件は、高岡駅にほど近い場所にあった。唯一の駅から歩いていける物件なので、条件はいい。高岡市も多分にもれず車社会なので、駅から近いことにどれほどの価値があるかわからないが、周辺には学校、保育園、スーパー、ホームセンターがそろっていて、住みやすい環境なのはまちがいない。
この物件は昭和60年代の建物で築浅だ。古家にしては真新しい。なかの状態みてもきれいそのもの、ふつうの中古物件にみえる。これだとリフォームしなくてもいける。
間取りは7LDKと記載されている。ここまでくると部屋数自体が問題にならない。もはや何部屋あるのか数えていない。やはりムダに部屋数が多いと、なんとなく尻の座りがわるい。建物面積と売値をみても釣りあわない感じがする。実際これだけのスペースだともうすこし高くてもいいのでは?とおもえるけど、けっこうお手頃な価格で買える。
では仕入れが低くおさえられるからいいかというと、そうでもない。購入価格が安価な反面、建物自体が大きいので、リフォーム代はけっこうかかる。トータルの投資金額は500万から600万になり、結果、古家投資としては標準的なサイズになる。にしても、物件価格とリフォーム代のアンバランスさは拭えない。
事実、富山エリアでの古家物件ツアーに参加しても、この手の戸建には手があがらないという。家が広すぎてどうしていいかわからなくなるのだとおもう。となると、入居のイメージも湧きにくい。いい物件だとおもうけど、決め手に欠ける。感覚的なことだけど、この手の判断は現地を踏まないとわからない。
残置物の活用
この物件は生子ども服やおもちゃ、イ・ビョンホンのポスターが貼ってあるなど、生活感が満載だった。ここで、Kさんがまた存在感を発揮する。Kさんは生活感あふれる部屋をまわって、隈なく物色しはじめた。引き出しをあけて、好みのものを漁っている。見れば、ウルトラマンの怪獣のおもちゃを手にしているではないか。
欲しいもんあったら持ってかえってええで、とKさんから話を振られる。
──いえいえ、他人の家のモノに手は出しませんから。
と暗にことわる。
こういう遠慮のないとこは、いかにも大阪人らしい。本人も悪気はないらしい。むしろ、子どものように目を輝かせて物色に勤しんでいる。タンスの引き出しを開けてごそごそしている後ろ姿は、完全に泥棒のそれだ。目出し帽があったらいいのに。
北陸の家
高岡の特徴なのか、わりとあたらしいこの物件も、どこか町屋のつくりを模倣している点がある。建物をコの字にして中庭にしているのがそれだ。庭をながめて鑑賞できるようにしているのだろうか。それとも広すぎる空間にアクセントをつけるための工夫なのか。
建物が広すぎるためにキッチンとリビングの生活空間は適度な広さにするのに、あえて空間を絞っているというのは、我ながらいい推理だとおもう。これはオモテの空間とウラのそれが関係している。
玄関から入ってすぐの部屋は、オモテの空間にあたる。大きく設た仏間と広間用は、来客用スペースとして確保されている。そう考えるなら、北陸の家は来客用スペースと生活空間を抱きあわせ、ひとつの家のなかに閉じこめるつくりになっている。
オモテの空間は多くの親戚があつまることを想定している。だから催事用に、スペースをとって部屋を確保しなければならない。北陸は親戚や地縁のつながりが強く、催事があったときにおもてなしをする文化があり、それが家の様式に出ているのだ。他方ウラの空間はリビングとキッチンとなる。居住空間は大人数を収納するようなスペースを必要とせず、ある程度コンパクトなつくりになっている。オモテとウラで建物にたいする考えがちがう。
家の建て方ひとつにも地域と風習が密接にかかわっている。実際、家というのはよく考えて作られている。