富山市のいいところ
北陸でもっとも大きい街が金沢で、富山はそれに次ぐ規模を誇る。新幹線開通にともない富山駅周辺は整備された感があり、ロータリー周辺にはビルが立ちならび、駅からのびる大通りには市役所、県庁、城址公園といった主要施設が軒を連ねている。もう十年ほどまえになるが仕事で富山に立ちよったときは、新幹線の開通にむけ駅構内のあちこちで工事をしていた。いまとなっては懐かしい光景だ。
富山市は珍しい自治体だ。全国に先駆けてコンパクトシティを謳っていて、公共交通を軸に拠点を集中させるまちづくりや、市街地活性化、高齢化社会の対応など意欲的におこなっている。市内にはいまだに路面電車が走り市民の足として活用されているし、富山地方鉄道や黒部のトロッコなど、県域のいたるところに鉄道軌道が敷かれている。そんな富山を称して鉄道王国とよぶこともある。
その富山で古家物件ツアーが催されるという。かつて訪れた富山の街並みを想い浮かべながら、どのあたりに古家が出てくるのか期待に胸を膨らませていた。空き家がでるとしたら、駅から多少離れるエリアになるだろう。たとえ市街地から離れるとしても、駅周辺やへの総曲輪へのアクセスが確保されるなら、そこそこ家賃収入が見込めるかもしれない。
あれこれ富山エリアについて想像をめぐらせながら日々を過ごしていると、ある日、一件のメールが届いた。富山エリアでの物件ツアーを主催している再生士のOさんからだった。事前確認の連絡だろうおもってメールを開く。集合場所をみてびっくりした。
集合場所:JR高岡駅 古城公園口 ロータリー
※ご案内にはJR富山駅となっておりますが、JR高岡駅になりますのでお間違いのないようにお越し下さい。
富山ではなく高岡かッ。
いやいやいやちがう、富山と高岡は全然べつもの! と心のなかで絶叫する。
富山じゃない
富山県で一番大きな都市が富山市ならば、二番手は高岡市になる。富山県を代表する河川・神通川に沿うようにして呉羽丘陵がのびていて、その呉羽丘陵を境として県東部を呉東、県西部を呉西と称している。呉東呉西では地域の色がはっきりと出る。おおざっぱにいえば呉東を代表するのが富山市で、呉西を代表するのが高岡市だ。
歴史をさかのぼれば、富山市も高岡市ももとは加賀百万石の支配下にあった地域という点で共通する。だが富山と高岡では、加賀藩あるいは前田家にたいする距離感がまるっきりちがう。
富山藩は三代藩主前田利常が隠居するとき支藩となっており、いちおう加賀藩と富山藩はべつの括りになっている。また富山市は規模からいっても金沢に次ぐ都市であり、百万石を冠する金沢に対抗する立場にある。正確ではないが、反加賀藩といえばイメージしやすい。
ところが高岡市は完全に加賀藩寄りだ。高岡は二代藩主前田利長が開いた町で、あくまで加賀藩を構成した地域だ。現代でも前田利長を観光PRにもちいているくらいだから、ルーツとして加賀藩意識が高い。いうならば親加賀藩なのだ。
その富山市と高岡市が争うとどうなるかというと、おなじ加賀藩の影響にあった街でありながら、富山の人はよく高岡のことを「加賀藩の属国」といって不当に貶めようとする。加賀藩には勝てないからお互いけなしあう関係になる。そういった骨肉の争いが令和になった現代でも脈々と受けつがれているのだから、地域格差はあなどれない。
富山と高岡で全然ちがうといったのは、そういった背景による。だから今回の古家物件ツアーは富山エリアではなく高岡エリアといったほうが正確だとおもう。僕だったら高岡住民のまえで、富山の物件ツアーとはいえない。富山と高岡いっしょにすんじゃねえよ。わかってねえなコイツ。高岡市民の心の声がきこえてきそうだ。